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鹿島の小笠原満男とはどんな選手だったのか?~現役引退に寄せて~

2018年12月27日。鹿島アントラーズのバンディエラ・小笠原満男が現役引退を発表した。最初は驚きで何も言葉にならなかったが、28日の引退会見の映像を見て、ようやく少し実感が湧いてきた。今は「寂しい」でも「悲しい」でも言い表せない、虚無感に近い感覚に襲われている。彼は私の一番好きなサッカー選手だ。今の気持ちを無理やり言葉にしたい。

もちろん、小笠原満男のことを書くからには、真剣に書くのが最低限の礼儀だと思っている。せめて一生懸命、このブログを書きたい。

小笠原満男のプレースタイル

小笠原満男とはどのような選手だったのか。まずはそのプレースタイルを振り返ってみたい。

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誰よりも技術のある選手

小笠原満男のプレイヤーとしての印象はどのようなものだろうか?苛烈なディフェンスのイメージだろうか。若き日のフリーキックのイメージだろうか。狡猾に時間稼ぎをするイメージだろうか。

私の場合、小笠原満男のイメージとしてまず最初に思い浮かぶのは、「技術の高さ」だ。それもピカイチの技術の高さ。私の価値観では、小笠原満男よりも技術のある選手は今の鹿島にはおらず、歴代の鹿島の選手を見ても柴崎岳が小笠原に並べるか並べないか、というレベルだと思っている。それほど小笠原の技術はずば抜けている。

では「技術」とは何か。一口に「技術」といっても、サッカーの場合は多くの解釈があると思う。私は以下の解釈で「技術」という言葉を分解したい。

  1. 状況の把握:ボールを次に動かす目的地(ルート)を定められる。
  2. ポジショニング:ボールを貰う適切なポジションを取れる。
  3. 止める&蹴る:正確にボールを蹴れる。正確に蹴るために正確に止められる。
  4. スピードのコントロール:1~3の一連の動作を最適なスピードでプレーできる。

小笠原満男は、この1~4の総合値が非常に高い選手だった。ハッキリ言ってしまうと、キャリア晩年(引退前の3~4年)は、「キック力」や「走るスピード」が遅くなっていたのは否めない。その状態でも小笠原満男が試合に出て勝利に貢献出来たのは、この技術の高さゆえだったと私は思っている。

小笠原はこれらの全てがレベルの高い選手だったが、ここで書きたいのは3と4のレベルの高さ。

例えば左サイドで安部裕葵・山本がパス交換してゲームを作っている。相手は鹿島の左サイド側に密集を作っている。ここで小笠原がアングルをつけてボールを受け、右サイドの西にインサイドパスでボールを展開するシーン。

小笠原はこの「左サイドからボールを受けて右サイドにインサイドパスで展開」という中継の役割をする時に、「右足で止めてすぐに左足で出す」というプレーが出来る選手だった。これをすると何が起きるか。コンマ何秒かの話だが、西大伍にボールが渡るのが早くなる。西大伍は、相手選手のプレッシャーとの距離で言えば2~3メートル遠い位置で次のプレーを始められる。

当たり前のプレーと思われるかもしれないが、このような場面で「右足で止めてすぐに左足で出す」が出来る選手は少ない。右利きのボランチであれば、「右足で止めて、右サイドの西を確認して、右足で出す」というリズムでプレーをする選手が多い。

テンポで言うと、小笠原はこれらの選手より1~2テンポ早い。秒数にするとコンマ何秒かだが、サッカーにおけるコンマ何秒の重要性を、小笠原は誰よりも理解している選手だと思う。この積み重ねが勝敗を分けることを小笠原は知っていた。ボランチである自分のボール保持時間を節約することで、周りの選手が少しだけラクになり、敵が少しだけ苦しくなり、それを繰り返せば勝利の確率は上がっていく。

もちろん、右サイドから左サイドに展開する時も同じ。「左足で止めてすぐに右足で出す」というプレーが出来る選手だった。

「ダイレクト」の重要性

先程のプレーとも関連して、小笠原は「FWやサイドハーフから自分へのバックパス」に対して、ダイレクトでクロス、あるいはダイレクトでスルーパスを出すのが上手い選手だった。

それには、先程の「技術」の定義の1番「状況の把握」が常に出来ていることが重要になる。

どこにボールを送ると相手は大変なのか。どこにボールを送ると得点のチャンスは広がるのか。止めて蹴った方がいいのか。ダイレクトで蹴った方が良いのか。小笠原は、「味方の動きに合わせてクロスを蹴る」というよりも、「相手DFが対応できてないスペースに、対応できてないタイミング」を重視してボールを配球する選手だった。

常に「相手の立場から見てどのようなプレーが厄介か」という視点を忘れていない選手だった。サッカーという競技が自分たちの動きだけでなく、相手の動きによっても成り立つものだと理解しているからこそのプレーだ。

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「浮いたボール」への対応の仕方

キャリア晩年の小笠原のプレーには、「浮いたボール(主に腰より上のボール)」への対応の仕方に原則があった。

それは「コントロールして味方に繋ぐ」ではなく、「(ヘディングなど)トラップせずに跳ね返す」というもの。頑張れば胸トラップでコントロールできそうなボールがルーズボールになった時でも、小笠原は迷わずヘディングで跳ね返す。

技術に自信のある多くの選手は、ボールをコントロールすることを好む。小笠原にだって、その技術はある。しかし小笠原は「跳ね返す」プレーをほぼ必ず選択した。

このプレーをなぜ選択するのだろう。

おそらく、小笠原にとっては勝利への確率が高いから。自チームのゴールに近い場所にボールがあるよりも、相手ゴールに近い場所にボールがあった方が勝つ確率が高い。負けるリスクが少ない。だからまずはその方向にボールを運んでおくという、シンプルなサッカーの原則だ。

地味なプレーだし、自分の評価が上がることにも繋がりにくいプレーだが、この地味なプレーの繰り返しで勝利の確率を少しでも高めようとしていた。

浮いたボールを小笠原がコントロールしている間に猛烈なプレッシャーを受け、ボランチの位置でボールを奪われると、失点の確率も上がる。小笠原はその「万が一」のリスクも避けようとしていたのだと思う。

小笠原が選択するプレーの一つ一つに意味があった。勝利につなげるために選択されたプレーだった。

ルールを理解した男

小笠原はサッカーのルールを本質的に理解した男だったと思う。それが顕著に現れたのが、「勝っている状況でのフリーキックやコーナーキック」の場面。

小笠原は、ルールに則って時間を稼ぐのが抜群に上手かった。

例えば、鹿島が勝っている状況で試合終了間際に相手のコーナーフラッグ付近でフリーキックになった場合。鹿島はフリーキックの再開箇所に2選手が集まり、いわゆる「鹿島る」と呼ばれるコーナーフラッグ付近でのボールキープをしようとする。

小笠原はまず、相手選手がボールから9.15メートル離れているかを必ず確認する。離れていない場合は、相手が規則に則っていないためにプレーを再開する必要がないからだ。そして相手が9.15メートル離れた後、いよいよプレーを再開させる時、小笠原は足を振り上げながら相手選手を見る。多くの相手選手は、小笠原がボールを蹴る前に動き始めてしまい、9.15メートルよりも近くに寄ってくる。そこで小笠原はボールを蹴るのをやめ、相手が規則に則っていないことをレフェリーにアピールする。そうやって「インプレーになるまでの時間」を使う。

相手は当然、一刻も早くプレーを再開してほしいのでイライラする。時には揉めることもある。それはそれで時間が使えるからオッケーだ。

一連の動作において、小笠原はルールに則った行動をしており、ルールに則っていないのは多くの場合で相手選手である。これはダーティなプレーですらないのだが、ほとんどの日本人選手はここまでディテールに拘った時間稼ぎをすることは出来ない。

勝つために出来ることは何でもやる選手だった。プロフェッショナルファウルが日本人で一番上手いのも小笠原満男だと私は思う。

失点に繋がる「匂い」を嗅ぎ取ったならば、迷わずファウルで止める。イエローカードを貰って失点の可能性を低く出来るならば、迷わずファウルを選択するのが小笠原だった。味方にとっては頼もしく、相手にとっては嫌な選手だった。

この姿勢を、今は安部裕葵なども受け継いでくれているように見える。

小笠原満男の価値観

プレースタイルの次は、小笠原満男の価値観について書きたい。彼はどんなことを大切にする選手だったのか。

2002年日韓W杯での負けず嫌いな姿

私が今でも強く印象に残っているのは日韓W杯『六月の勝利の歌を忘れない』という日本代表に密着したDVDで見せた姿だ。

日韓W杯グループリーグロシア戦。日本はW杯初勝利を挙げた。歴史的勝利だった。試合後の選手控室に密着したカメラに対し、日本代表の選手・スタッフは全員ハイタッチをして歓声を上げていた。その中でたった1人だけ、ハイタッチをせずに勝利を喜んでいないように見えた選手がいた。

ロシア戦も初戦のベルギー戦も出場機会の無かった、当時23歳の小笠原満男だった。

チームが勝利した喜びよりも、自身が試合に出れなかった悔しさが上回っているような、そんな負けず嫌いの選手に見えた。負けず嫌いのレベルは、当時の日本代表の中でも格別だったように見えた。

別の映像では、日本代表の練習でガンガンに中田英寿を削りにいっている小笠原も見たことがある。

ポジションを争う相手が中田英寿だろうが関係ない。それが小笠原満男という男なんだと私は思ったし、試合に出れず悔しがる姿はサッカー選手として正しいものだと思った。

クラブW杯での一言

時は流れて、2018年。クラブW杯の3位決定戦で、小笠原に途中出場の出番がやってきた。ニュースによると

「俺じゃなく若いやつを」

と大岩監督に語ったという。

誰よりも出場機会を求め、誰よりもプレーに飢えている小笠原が、若手に出番を譲ろうとしたという。

引退を既に決めていたといこともあるだろうが、それは小笠原という人間の心境の変化だと私は思った。プレイヤーとして「自分の出場機会と勝利」を貪欲に求めていた小笠原から、「鹿島の勝利」を何よりも願う小笠原への変化。

きっと「勝利に拘る」という小笠原の芯の部分はこれからも変わらず、また別の形で鹿島アントラーズの勝利のために尽力する小笠原を見られる日も近いのではないだろうか。

絶対的な強さではなく、相対的な強さ

小笠原満男は、「絶対的な強さ」について語ることの無かった選手だったと思う。「自分たちのサッカー」というような理想を語るような選手ではなかった。サッカーには対戦相手がいて、自分たちだけで試合や勝ち方をコントロール出来るものではないことを理解している選手だった。

小笠原が求めていたのは「相対的な強さ」だったように思う。

「相対的な強さ」とは、つまり目の前の相手に勝つ事を重要視するということ。サッカーという競技は、目の前の対戦相手に勝ち続ければ必ずチャンピオンになれるようになっている。小笠原が求めていた事は、サッカーの本質でもあるのかもしれない。

例えば天皇杯で格下と目されるJFLチームとの試合。絶対的な強さを求めるならば、「4-0や5-0で勝ちたい」「ゲームを支配して勝ちたい」という事になるが、小笠原はそういう選手ではなかった。良い意味で相手を舐めることなく、勝つことだけを目指す。目的は美しく勝つことではなく、目の前の相手に勝つことだった。

逆に、格上と目されるチームとの試合でもやることは同じ。2年前のクラブW杯で、レアル・マドリーに先制された後に、動揺することなく平然とミドルシュートを撃ってゲームの流れを取り戻した姿は記憶に新しい。

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習慣を蔑ろにしない

小笠原の価値観として印象に残っている一つが、習慣を蔑ろにしない姿勢だった。中田浩二の引退後、小笠原は事あるごとに

「浩二が引退した年、彼は一度も練習を休まなかった」

と語っている。

「日々の習慣」や「姿勢」を大切にする選手なんだということが改めて分かる。

日々の練習の大切さ。取り組む姿勢の大切さ。リーグ戦1試合1試合の大切さ。一つのプレーへのこだわり。大一番で問われるのは、結局は「習慣」なのだろう。

小笠原が「今日だけ頑張る」というプレーを見せたことは無かった。やっていることは天皇杯の初戦でもクラブW杯の決勝でも同じだった。その繰り返しで獲得したのが、17のタイトルと6度のベストイレブン、数多のMVP獲得なのだろう。

 小笠原満男以後の鹿島アントラーズ

私にとって「鹿島アントラーズの価値観」は、小笠原満男がピッチの上で見せてきたものや発言によって形成された部分が大きい。小笠原は鹿島アントラーズの象徴だ。

若いサポーターは、「(メッシーナ移籍期間を除き)小笠原のいない鹿島アントラーズを見たことがない」という人が多いと思う。来シーズンの、小笠原という選手のいない鹿島が心配だし虚しい気持ちになると思う。

しかし引退会見を見る限り、選手と違う形で鹿島に戻ってきてくれるようだし、椎本スカウト部長は

「浩二がフロント、満男が現場」

ということも語っていたので、またカシマスタジアムで小笠原と共に戦える日が来ることを楽しみに待ちたい。

これからの鹿島に必要な事は、小笠原が身をもって提示した価値観をサポーターが共有し続けることなのではないかと思っている。鹿島アントラーズの胸のエンブレムにつく2つの大きな星は、小笠原と共に戦った証だ。道に迷いそうになったら、彼のプレーを、彼の言葉を思い出そう。

今はひとまず、現役生活お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。また共に真剣勝負を戦える日を願って。

 

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