岩政大樹とレフェリーとゲーム理論

鹿島アントラーズに10年間在籍し、いくつものタイトルをもたらしてくれた岩政大樹が現役引退を発表した。私が中学~高校~大学に在籍している間、それはつまり鹿島アントラーズへの思いがどんどん強くなっていく過程において、鹿島のDFラインにはいつも岩政がいた。私自身がDFの選手だったこともあり、岩政のプレーや所作を真似していた。

私にとっての鹿島アントラーズの背番号3は、誰が何と言おうと岩政大樹だ。

今回は、そんな岩政大樹と「サッカーのゲーム理論」とレフェリーの関係性について書きたい。

岩政大樹の印象

岩政のプレーで記憶に残っているのは、強烈なヘディング。だけではない。

味方と会話し、そしてレフェリーと会話している姿を私はよく覚えている。今回は「岩政大樹とレフェリー」について書きたい。Jリーグのレフェリングについてのフラストレーションが溜まっているサポーターも多いかもしれない今だからこそ、書く意義があると思っている。

ゲーム理論としてのサッカー

話が少し遠回りになってしまうが、お付き合いいただきたい。サッカーは「ゲーム理論」で語ることが出来るスポーツだ。ゲーム理論とは、今回の記事では以下のように定義する。

プレイヤーは、利得を最大化するために自分の行動を選ぶ。またすべてのプレイヤーは、相手もまた自分の利益を最大化しようとしていることを常に忘れずにいる。

これはジェームズ・ミラーという方が『仕事に使えるゲーム理論』という本で書いたものを引用させていただいた。

この言葉を借りて、サッカーというゲームにおけるゲーム理論(この記事では「サッカーのゲーム理論」と呼ぶ)の定義をしたい。

「自分(この場合はチーム)は試合に勝利するために自分の行動を選ぶ。相手も同じように、試合に勝利するために自分の行動を選ぶ。そして、お互いにそれを忘れずにいる。」

当たり前だと思うかもしれないが、この行動原理は実はゲームごとに勝手が違う。ゲーム理論のディテールについては本記事の主眼ではないので、詳しく知りたい方は本などを読まれることをお勧めする。

私が解釈するに、サッカーというスポーツにおける「戦術」とは、相手の考えや特性を考慮して考えられなければいけない。それは「サッカーのゲーム理論」においては以下の原則があるからだ。

  • 対戦する2チームがどちらも勝利を得ることはない
  • 勝利を望まないチームはいない

つまりサッカーにおいては、「相手チームも自分チームに勝つための戦略を打ってくる」という前提のもとで戦術を立案する必要がある。これがサッカーの面白いところであり、「戦術」の深さでもある。もしも勝利を求めないチームがあるならば、「サッカーのゲーム理論」は崩壊する。だが、そんなチームは基本的には存在しない。

「サッカーのゲーム理論」におけるレフェリーの立ち位置

サッカーは22人+審判で行われるスポーツだ。「サッカーのゲーム理論」において22人(11人と11人)は、プレイヤーとなる。互いが勝利を目指す対の存在だ。ではレフェリーの存在をどのように定義しよう。

基本的には、サッカーというゲームの規則の中でプレイヤーを行動させるよう裁く役割が、レフェリーだ。

しかし、純粋に「サッカーのゲーム理論」を考えるプレイヤーにとっては、レフェリーは「不確定要素」になり得る。レフェリーの技術や経験が未熟であればあるほどに、プレイヤーにとってレフェリーが不確定要素となる確率は高まる。相手の戦術を出し抜いてゲームを優位に運んでいたのに、レフェリーのミスによって台無しになることはサッカーでは良くあることだ。

岩政大樹とレフェリー

岩政は以前、レフェリーについてこのように語っていた。

僕がレフェリーの方と話をする場合に気を付けているのは、レフェリーの方を尊重することは当然として、その上で、「レフェリーの方の見解を聞いた後は、未来のことを話す」ということと、「基準を揃えてもらうよう主張する」ということです。

(中略)よく、レフェリーの方と話しているシーンを指摘して、「駆け引きしている」と言われることがありますが、僕の中では少し違います。書いてきたように、僕はただ、会話の中でレフェリーの方の基準や性格を知りたいという側面が強く、その上で未来を先に想定しやすくしておきたいのです。

引用元:http://best-times.jp/articles/-/3294

これはまさに、前項で述べた「不確定要素としてのレフェリー」を意識した行為だ。こちらに優位に判定してもらうことが目的ではなく、少なくとも公平にジャッジしてもらうということが目的だ。

サッカーのルールブックに「レフェリーと話してはいけない」という規則はないし、「基準を審判に聞いたら反則」というルールもない。そうであれば、こちらが取られたファウルと同じレベルのプレーはファウルを取ってもらわなければいけない。そのために審判のことをよく知るという作業を怠らなかったのが、岩政大樹という選手なのだ。

特に審判が未熟である場合は、なおさらだ。

私の知るサッカー選手の中で、勝利を獲得するためのレフェリーの接し方として最も合理的な行動を取っていた選手が岩政だ。レフェリーと喧嘩する選手は勝利を目指す上で合理的ではない。理不尽なジャッジにただ黙って従ってしまう選手も合理的ではない。

ピッチ上でレフェリーを監視すること

レフェリーと会話して基準を知るというのは重要だ。それは「ピッチ上に自分のジャッジを見張っている選手がいる」とレフェリーに思わせることで、未熟なレフェリーのレフェリングを一定基準にコントロールできるかもしれないからだ。第3者機関のようなものが見張っている時に仕事の緊張感が増す感覚と似ているだろう。

もちろん、選手がこんなことをしなくてもよいほどに成熟したレフェリーばかりなら、岩政の行っていた行動は意味をなさないかもしれない。ただ、ヨーロッパのトップリーグでもW杯でも誤審とみられるシーンは絶えないので、岩政のように「レフェリングの基準に目を光らせ、審判と会話する」ということの重要性は消えないと思う。Jリーグならば尚更だ。

岩政大樹と内田篤人

今の鹿島で、このような仕事をする選手は内田篤人だ。内田が10/7の川崎フロンターレ戦で村上レフェリーについて

これだけお客さんが入っていたから。試合前、『この試合、絶対に荒れるから』とは伝えていたんだけれど、笑っていたから、ダメなのかなとはちょっと感じていた。

このように語っていたのも、岩政と同じような意図があったのだろう。

「うちに有利なジャッジをしてね」ではなく「選手がゲームに集中できるようにジャッジしてね」という意図だ。残念ながら村上主審には理解してもらえなかったようだが、岩政の隣でプレーしていた内田が、岩政が行っていたことを継承してくれているように思って私は頼もしかった。

公平にジャッジしてもらえれば「サッカーのゲーム理論」における不確定要素は無くなり、プレイヤーはゲームや戦略に集中できるはずだ。岩政も内田も、ゲーム理論を知っているかどうかは別として、サッカーというゲームの本質を理解した選手だ。そういう選手は監督やサポーターにとって、頼もしい。

最後に

岩政大樹、本当にお疲れさまでした。私が常に「サッカーで勝利するために、選手はどのような行動を取るべきか」ということに目を向けたのは、あなたがきっかけです。いつかカシマスタジアムで再会できることを信じて。

最後の最後に

せっかくなのでこちらの本も紹介しておきます。かなり面白いです。

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