本能と自信とファンアラーノ

鈴木優磨のインタビューを読んだり聞いたりしていて、非常に興味深い内容があったので引用させていただく。

――そもそもベルギーのサッカーは、日本とはどう違いますか?

「とにかく縦に速いですね。日本みたいに、5本も6本も7本もパスを繋がない。2本でゴールに行けるなら、2本で行きます。それでたとえ失敗しようと、ラストパスの確率が10%だろうと。たとえば横パスを出せばその確率が100%になったとしても、10%を狙います、確実に」

引用元:Number WEB https://number.bunshun.jp/articles/-/848127?page=2

近しい内容の事を、DAZNの内田篤人との対談でも語っている。

「日本よりベルギーの方が展開がスピーディです。日本では7本くらいパス繋いでからゴールを目指しますけど、ベルギーは1本でチャンスになるなら1本でゴール目指すし。取られてもいいやくらいの感覚でガンガン狙いにいくんで。」

「日本では『蹴んな』みたいな雰囲気ある。」

私自身もJリーグ及び海外サッカーを見ていて思う事とリンクしていたので、今回はこの事をテーマにしたい。

マリノス戦のファンアラーノ

冒頭の鈴木優磨が語ったようなダイレクトなサッカーを欧州基準とするならば、鹿島アントラーズで最も欧州基準に近い基準でサッカーをプレーしているのはファンアラーノだな。と私は思う。

例えばこちらのマリノス戦の上田綺世のゴールを見てほしい。(↓そのシーンから再生されるはず)

ボールを奪ったファンアラーノにはいくつかの選択肢があった。

  1. 最前線の上田綺世にロングパス
  2. 右サイドをフリーで抜け出した荒木遼太郎に強いパス
  3. 近場の常本に繋いで動き直す

※これは「ゴールに近い順」に選択肢を並べた

Jリーグでプレーする選手のほとんどは、②を選択するだろう。ここが「リスク」と「リターン」のバランスがちょうど良い。後半で他の選手の動き出しが鈍い事からも、③ではなく②を選択する確率は極めて高い。かく言う私も確実に②にチャレンジする。

しかしアラーノが取った行動はどうだろう。

迷わず上田綺世を選択した。

というか、よくよくアラーノの視線を見ると、まるで最初から上田綺世しか見ていないようなプレーぶり。

この場面で上田綺世にボールが通る確率はかなり低いと思う。でも恐らく、これが鈴木優磨の言っていた「1本で狙いに行く」という事なんだろう。

しかもアラーノはこの試合だけでなく”鹿島に加入してからずっと”この基準でプレーしている。(確率の問題ではなく)最優先はゴールに最も近い選択肢である。というプレーを何度も何度もしている。

ゆえにファンアラーノのプレーの確率は高くない。ゴールに最も近い選択肢は、得てして難易度が高い事がほとんどだから。

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日本人選手の「迂回癖」

私はアラーノのプレーを見ていて、常々「良い判断基準を持ってるなぁ」と思う。

それは周りの鹿島の選手たちと比較して、迂回癖が無いから。失敗の回数は多いけれど、判断の基準は良い。”目”と”頭”は良い。技術が足りないだけ。

確率は気にしない。ボールを取られても取り返せば良いだけなので。そういうプレーを続けている。

例えば先日のサガン鳥栖×鹿島アントラーズのゲームで、土居聖真が自分がゴールに一番近い状態で相手DFと1対1になったが、迂回するような選択肢を取って鹿島はゴールへのトライを失敗した。シュートすら打てずに失敗してしまった。

これを「迂回癖」と名付けたい。

土居聖真の名前を出したが、これは聖真に限った事ではない。Jリーグの日本人選手にはかなり迂回癖がある。

そして私の肌感覚ではあるが、Jリーグで長くプレーしている選手ほど迂回癖が強くなる傾向にある。

鹿島アントラーズは特に顕著だと思う。迂回癖が無く、ゴールに直結するプレーを最優先で選択できる選手は、荒木やアラーノ、エヴェラウド、上田綺世などのJリーグでのプレー歴の浅い選手に限られる。

私はゴールに直結するプレーを優先する彼らが好きだ。たまらなく好きだ。一方で迂回癖のあるプレイヤーの動きには幾らかのストレスを感じる事が多い。

動物の本能と直結する動き

私がアラーノのような選手のプレーが好きな理由の1つとして、「本能」があるんじゃないかと思っている。

アラーノは動物としての本能に素直なのだ。

ゴールを奪いたい。勝ちたい。その本能に正直であるがゆえに観戦者である自分の感情とリンクする。

日本サッカーではいつからか、「パスをたくさん繋いで点を決めた方が優れている」みたいな奇妙な宗教思想に囚われて久しい。私が高校生くらいの時(2006年とか)から既にそのような空気感の前兆はあった。たぶん2010年前後くらいのバルセロナやスペイン代表が決定的な影響を与えてしまったと思うんだが、まぁそれはどうでもいい。最強のサッカーを作り上げてしまったグアルディオラのせいにしよう。

たくさんパスを回して、味方と流動的に連携して、相手を翻弄して取ったゴールを称賛するような価値観である。(私の印象では、ドイツやイングランドのサッカーは特にそのような価値観をほとんど感じない)

他にも「蹴るサッカー」という言葉は日本では揶揄っぽい意味合いで使われる事が何故か多かったりする。

おそらく今のJリーグの選手たちの中にも少なからずそのような価値観を潜在的に持ってしまっている選手がいるのかもしれない。

だから私はボールを失う事を恐れないファンアラーノに鹿島の価値観を変えてほしかったし、期待していた。今もまだ期待している。

ゴールを奪うための縛りを設ける事は、ゲームの目標達成のためには合理的ではないはずだ。例えば大富豪というゲームで勝つために「必ず革命を起こしてから勝ちたい」みたいな縛りをつけているプレイヤーがいたらどう思うだろうか。愚かだなぁと思うだろう。つまりそういう事。

しかし、このような主張をすると必ず出てくる反論が「確率」の話である。

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迂回をした方が確率が高い……?

ゴール前でゴールから遠ざかるようなパスを選択する選手がいたとしよう。

観客はシュートを打ってほしかったが、選手はパスをした。

スタジアムに行くと必ずいる「シュート打てオジサン」に怒鳴られるようなプレーである。

選手としては恐らく「無理に打つよりもフリーな選手にパスをした方が確率が高いんだ。あそこで打つのは(自分の経験上)確率が低い。」という思いを抱えているはず。

J2を見ると無理なシュートを打つ選手が多く、J1になると逆に無理なシュートを打つ選手は減る。という印象を私は持っている。これは「パスをして確率を上げたほうが良い」という考えの結果とも一致しているのかもしれない。

賢ければ賢いほど「自分が確率の低いプレーを選択してチャンスを潰すのはもったいない」という感覚になるのかもしれない。

しかし逆にJ1の有力な助っ人外国人選手になると、無理なシュートでもガンガン打っていくような選手が多くなる。海外のリーグを見ても「それ絶対入んないじゃん」というシュートを打つ選手はJリーグにいる日本人選手よりもずっと多い気がする。

これはどういう現象なんだろうか。

自信と確率、そして失敗の概念

私は「自信と確率のバランス」「失敗の概念」が肝なんじゃないかと思っている。

おそらくゴール前で無理なシュートを打たない選手は、自分のキックや技術に自信を持ちきれてないんだと思う。自分の能力は理解しているので、自分にできる最も確率の高いプレーを選択する。それがJ1では実は多い。逆に外国人選手は自分の能力に自信を持っているので、自分が打つのが最も確率が高いと考える。エヴェラウドや柏のクリスティアーノなどは好例だろう。彼らが「味方にパスをする事=ゴールの確率を下げる事」と考えてもなんら不思議ではない。

あとは「失敗」の概念も気になる。別にボールを取られたっていいじゃないか。取り返せばいいじゃないか。というアラーノのようなメンタリティを持てる日本人は極めて少ない。真の失敗とは、勝利のためにプレーしないことである。ボールを失う事を失敗に含めてはいけない。

まぁ何が言いたいかと言うと、日本には謙虚すぎる選手が多い。そして「ボールを取られる事=失敗」という価値観も変わってほしいなと思う。

鈴木優磨や金崎夢生は謙虚じゃなかった。荒木遼太郎は良い意味でボールを失う事を恐れていない。

鹿島の選手には「あなた達の自己評価よりも、もっとあなた達の能力は高いんだよ。」という事を私は言いたい。そしてボールを取られたって構わないから、チャレンジを続けて、もしも取られたら奪い返せばいい。

例えば鹿島なら白崎凌兵のシュートはエヴェラウドの次にシュートの技術が高いし、染野や和泉竜司も素晴らしいものを持っている。松村と土居は自分のシュートにあまり自信を持っていないように見えるが、それでもアラーノとさほど変わらないと思う。

「俺はもっとやれる」「俺はこんなもんじゃない」というメンタリティを、彼らのプレーから見られると嬉しい。

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