前回の記事に続き、回顧録その2です。
今回は、私が今もサッカーを好きでいる理由。その転機となった試合の事を書きます。
サッカーから離れようとしていた中学サッカー引退後
2004年。私は中学校のサッカー部を続け、3年の最後の大会を終え、引退した。
私はサッカーが特段上手いわけではなかったので、中学サッカーを最後にサッカーを辞めようと密かに思っていた。
進学したいと思っていた高校のサッカー部は強豪だったし、希望通り入学出来てサッカー部に入った所で、自分がトップチームの試合に出る事なんて想像出来なかった。
加えて、自分のサッカーの技量が足りなかった事もあり、サッカーという競技自体に対する面白みを感じられなくなっていた。毎日サッカーの練習をして、でも試合では全然思い通りにいかなかった。
サッカーは団体競技なので、自分がミスをする事によってチームメイトに迷惑をかけるのではないか。という思いも常に抱えながらプレーしていて、それも精神的に良くなかった。
今思えば、客観的に見れば、私のプレーなんて普通中の普通で、別にただの上手くも下手でもない選手だったんだが、「自分のプレーを皆が注目していて、失敗したら迷惑をかけてしまう」というマイナスな思考を持ってしまっていた。自信を持って大胆なプレーをする事が少なくなっていった。
小学校から中学校にかけて、選手(私やチームメイト)が指導者から褒められている場面よりも、叱られている場面の方が印象に残っていたから、そのような思考になっていったのかもしれない。
鹿島VSバルセロナ
忘れもしない2004年8月1日。私のサッカー人生の転機となる試合に巡り合った。
中学サッカーを引退し、サッカーを辞めようと思っていた折に、父が「鹿島とバルセロナの試合、観に行くか」と誘ってくれた。
鹿島が好きだったし、日韓ワールドカップを熱心に見ていたため、ロナウジーニョも見てみたかったので二つ返事で行くと答えた。
試合を見るために国立競技場へ足を運ぶと、満員の観客が試合を見守っていた。
このゲームで私はサッカーの楽しさを教えてもらった。
私の憧れていた鹿島の選手が、手も足も出ないほどの圧巻のサッカーがピッチ上で展開された。
名良橋を翻弄するように笑顔でドリブルするロナウジーニョ。華麗にゴールを決めるジュリやラーション。
バルセロナやロナウジーニョのサッカーは、私がそれまで見てきたサッカーとはまるで異質の競技だと感じられたほどだった。
サッカーはこんなにも楽しくて面白いものなのかと、高揚を隠しきれなかったのを鮮明に覚えている。
サッカーから離れかけていた私の心を、再びサッカーに引き寄せてくれたのはロナウジーニョのプレーだった。
再びサッカーに夢中になった
鹿島とバルセロナの試合以降、私は再びサッカーに夢中になった。
高校受験の勉強の合間を縫っては、WOWOWで早朝や深夜にバルセロナの試合にかじりついた。
どんどんロナウジーニョのプレーに魅了されていくうちに、私はまたサッカーにチャレンジしてみたくなった。
ロナウジーニョのようにプレー出来ない事は明白だけど、ロナウジーニョのように笑顔でプレー出来たら楽しいだろうなと、少なくともそう思えた。
結局、高校に入った後も私はサッカー部に入った。社会人になってもサッカーを続けているし、今ではサッカーを通じた仲間も沢山いる。
それもこれも、ロナウジーニョという選手のお陰だと私は思っている。
彼が2004年の8月1日に、あんなに楽しそうにサッカーをやっていなければ、私はサッカーという競技から離れていたに違いない。
私の「ロニー」という名前は、私をサッカーに引き戻してくれた、敬愛するロナウジーニョの愛称から拝借している。