レオ・シルバが自陣ゴール前(ペナルティエリアのかまぼこあたり)でボールを持って、相手にキックフェイントをかけたり抜こうとしたりするシーンというのは鹿島サポーターならお馴染みだと思う。このプレー、鹿島サポーターの中から「ボール持ちすぎだよ!」と、やや否定的な声を聞くことが多い。私はこのプレーは嫌いじゃないのだが、一般的には好まれるプレーではなさそうだ。
今回はこのプレーについて、考察のブログを書きたい。
パルメイラスU-16が与えてくれた視座
レオ・シルバのプレーについて書く前に、ちょっと遠回りな話をしたい。
先日、茨城国際ユース(U-16)サッカー大会の水戸ホーリーホックユース(U-16)とパルメイラスU-16の試合を見ていて感じた事があった。
試合は水戸ホーリーホックユースが1-0で勝ったのだが、個人的に面白い現象を見ることが出来た。
まずどのような試合だったのか簡単に説明しよう。
ホーリーホックユースは後ろから丁寧にビルドアップしていくチーム。そして守備は個々の守るエリアを決めて約束通りに動く、規律の取れたチームだなという印象だった。
一方のパルメイラスユース。これが面白かった。面白かったというのはサッカーの内容が面白いわけじゃなくて、「選手個々の色があるな」という意味で面白かった。ドリブルが得意な選手は果てしなくドリブルするし、ストライカーの選手はゴリゴリと相手CBに勝負を仕掛け続けた。選手個々の色はあるが、一方でチームとしての規律はホーリーホックユースほど取れていないように感じた。
そして、試合を見ているうちに「あること」に気付いた。
「(ボールを)持つな!」という日本のチーム
それはホーリーホックユースから聞こえた声がきっかけだった。ある選手がボールをキープして相手に囲まれそうになると、「(ボールを)持つな!」という声が聞こえた。それはベンチからも、選手からも聞こえた。
「持つな!」という声は、日本でサッカーをやっていると結構聞く言葉だ。これは水戸ホーリーホックユース特有の現象ではないと思う。水戸ホーリーホックユースの前に試合をしていた鹿島ユースの選手からも聞こえたし、私がプレーしていたチームや現在プレーしているチームでも聞く言葉だ。
「持つな!」の意味は、もっと細かく説明すると「相手に囲まれてボールを取られる確率が高い状況なのだから、周りのフリーな選手に預けてボールを動かせ」という意味合いに近い。
決して「ドリブルするな」という意味ではない事を注意していただきたい。
「相手に囲まれそうな状況ではボールを持つべきではない」
これが日本のサッカーにおけるセオリーになっているのではないか?という私の仮説がぼんやりと頭に浮かんだ。
ボールを持ちまくるパルメイラスユース
一方のパルメイラスユースの選手の「相手に囲まれた時のプレー」と「周りのパルメイラス選手のリアクション」を注意深く見てみた。
するとどうだろう。パルメイラスの選手はプレッシャーを受けた時にボールを持ちまくっていた。技術に自信があるであろう選手は特に、異常とも思えるほどボールをキープして、プレッシャーを「まずは自分の技術で」打開しようと試みていた(そのせいで規律の取れたホーリーホックユースの選手に囲まれてしまうのだが)。
そして周りの選手のリアクションに目を移すと、「持ち過ぎだよ!」という声を出しているようには見えなかった。ボールを持ちまくる彼のプレーは不思議なものではなく、周りにいる自分はどうしようか。と考えているように見えた。
囲まれそうになったら自分の技術(ドリブル)による打開を優先しよう。
これは私の仮説による「日本のセオリー」からは逸脱しているプレーで、どうやらパルメイラスユースが持っているセオリーらしかった。少なくとも、日本のようにボール保持者が咎められるシーンは見られなかった。
日本とブラジルの「セオリーの違い」
「ボールを持つな」と言って相手に囲まれる状況を避け、空いてる選手へのパスを優先する水戸ホーリーホックユース。
囲まれそうな状況でのボール保持者は、まず自分の技術(ドリブル)による打開を優先しようとするパルメイラスユース。
この2チームが持つ「相手に囲まれそうな状況のボール保持者のセオリー」はおそらく全く違うものだった。
※この2チームによるセオリーの違いをそのまま「日本」と「ブラジル」のセオリーの違いに当てはめて良いのかはやや強引かもしれない。もちろんそれぞれに例外はある。
日本でプレーするブラジル人選手、例えば鹿島のレオ・シルバやレアンドロなんかは「パルメイラスユースが持つセオリー」に近い感覚でサッカーをプレーしているように私は見える。
パルメイラスユースの選手たちのプレーに、レオ・シルバのゴール前コネコネプレーの背景が見えたような気がした。
パルメイラスのセオリーは、選手個々の「1対1戦術」や「技術」をベースにしている事は間違いない。これはブラジルにおける一般的なセオリーがそうなのかもしれない。「打開出来る技術があるのにそれを活用せずにパスで相手の安全地帯に逃げるのは勿体無い(チャンスにならない)」という思考回路で彼らはプレーしているのではないかと私は感じた。
「どちらのセオリーが正解」は無い
ここで強調しておきたいのは、「相手に囲まれそうな状況におけるプレーの選択」のセオリーについて、正解は無いということ。
ホーリーホックユースのセオリーも正解になり得るし、パルメイラスユースの選手たちのセオリーも一方で正解になり得る。
これがサッカーの面白い所だ。正解が1つではないし、そこに国民性や人間性が反映されるなら、なおのこと面白い。
しかし重要なのは、「1つのチームにおけるセオリー」はある程度整備されている方が好ましいという事だ。
例えばホーリーホックユースのチームにパルメイラスのボールを持ちまくる選手が3人入ると、そこにノイズが生まれる可能性がある。8人のセオリーと3人のセオリーが違う状態でプレーを続けるのは、チームとして好ましい状況ではない。3人のブラジル人選手の動きで8人の日本人選手が混乱する。もちろんそのノイズは、相手にとってもノイズになるので、武器になることも勿論ある。
その場合のチームビルディングは、3名のブラジル人選手に最低限のチームのセオリーを理解してもらいつつ、相手にとってのノイズになるプレーは続けてもらう。というような事が必要になる。
鹿島がブラジル人選手に拘って選手を獲得している理由は、この「セオリーの違いによるノイズ」を合理的に最低限に抑える効果もあるのだろうと私は思っている。
また、他のメリットとしてレオ・シルバとレアンドロのように「セオリーが同じ」という選手を近くに配置すると、先日の清水エスパルス戦のようなコンビネーションが生まれやすいのではないだろうか。
レオ・シルバのボールコネコネ問題
冒頭の話題に立ち返り、纏めて終わりにしよう。
結局のところレオ・シルバがゴール前でボールをコネる理由。それは「自分の技術で状況の打開をまず試みて、打開出来るならした方がチャンスになる(相手に取って危険である)」というセオリーのもとで選択されているプレーなのではないか。彼自身が特別なわけではなく、これはブラジルで培ってきたセオリーに起因するものだと私は思う。
もちろん選択時点では、そのプレーに正解不正解は無い。結果的に大正解の時もあるし、大失敗になる事もあるかもしれない。
サポーター心理としては、日本とブラジルで言葉が違うように「セオリーも違うのかもしれない」という事を頭に入れておくと、レオ・シルバのプレーに対する理解も深まるのではないだろうか。