鹿島アントラーズのザーゴ監督が解任された。心の整理も頭の整理もつかないが、今の気持ちを言葉にしておきたい。
名古屋グランパスに負け、浦和レッズに負けた所あたりから急速にクラブとしての雲行きが怪しくなってきた感はあった。レイソル戦で何とか勝利したものの、札幌戦は敗戦のような内容だったが沖の活躍でドローに持ち込んだ。
鹿島アントラーズのプレスリリースにはこんな言葉が。
本日(4/14)、今シーズンの成績を総合的に判断したうえでザーゴ監督との契約を解除することとなりましたのでお知らせいたします。
「総合的に判断」という言葉に含みを感じる。「結果が悪いだけの理由ではないよ」というように私は読める。今のJ1リーグの成績(2勝4敗2分)だけを見てるわけではないよ。というように読める。
恐らく現場レベルで感じるであろう選手のヴァイブスであるとか、監督の求心力であるとか、オンザピッチでのパフォーマンスであるとか、修正力であるとか。あるいは勝った時の勝ち方、負けた時の負け方。そういったあらゆる事を”総合的に”判断した。というように読める。
鹿島アントラーズもプロクラブで、言ってしまえば商売をやっているわけなので、致し方ない決断なんだろうな。とは想像がつくし理解も出来る。さらに言えば、ここまで成績も内容も伴わなければ、そこまで迷うようなジャッジでもなかったのかもしれない。とも思う。
決断というものは、決断する時には正解か不正解かなんて分からない。それが世の常である。先が見える人間なんていない。
でも決断する時はやってくる。
その時に唯一の拠り所となるのが、数字だと私は思う。(それ以外の拠り所は、基本的には精神論や推論になる)
ザーゴ解任の決断に対して、クラブ側(フロントサイド)はどれだけ数字の拠り所があったのかな。と想像する。
ザーゴはこれまでにJリーグ及びカップ戦で残している数字は決して優秀ではない。今シーズンに関して言えば相当悪い。スタッツ的な部分を見たとしても、鹿島が相手を圧倒しているとは言い難い。
数字についてはあまり議論するようなポイントはなかった事だろう。ザーゴが残した数字は、残念ながら悪い。
鹿島の覚悟とザーゴ招聘
鹿島アントラーズは「主導権を握る」という合言葉と共にザーゴを招聘した。
2020年、鹿島としても相当の覚悟(とコスト)を持ってモデルチェンジを敢行しようとしたのだと思う。
鹿島がここでザーゴを解任するという事は、2020年に掲げた覚悟とこれまでにかけてきたコスト(金銭と時間とリソース)を半ば諦めるという判断でもある。
それくらいに今の鹿島は追い込まれているのか?という自問自答に対して、今回は”Yes”という決断に至ったのだろう。
覚悟とコストを捨ててまでも、このクラブは降格してはいけない。という意思表示のようにも見える。
私はその決断自体は支持したい。このようなチーム状況になってしまった以上は、ズルズルと判断を後回しにするのは賢明ではない。
しかし、今回のようなチーム状況に至るまでに出来る事はあったのかもしれない。とは思う。
認識のすり合わせと戸惑う選手
ザーゴの求めるサッカーと、鹿島の強化部が求めるサッカー(及び結果)に、ずっと微妙な齟齬があったような感覚が私にはある。
理想を追い求めたいザーゴと、目の前の勝利及びタイトルにもこだわっていきたい強化部。それに振り回される選手。
そのすり合わせや歯車が何とかハマったのが2020年の連勝時のザーゴ鹿島だったんだろうと思う。そして全くハマってないのが今シーズンなんだと思う。
2020年の始めからザーゴのサッカーを深く意識しすぎずにプレーしていた遠藤康が、この1年と4ヶ月の間ピッチ上で最も頼りになったのは偶然ではないように感じる。
ザーゴというコンパスと、強化部が導いてほしいコンパスと、2つの方角がズレてしまっているように感じた。
そんな状況でも「仮にコンパスの方角がズレてても、戦うのは俺たちだよね。やるべき事をやるだけだよね。」と割り切りを見せられたのが遠藤康や永木亮太なんだろうと思う。故に私は、方角はどうあれ今シーズンは遠藤康や永木亮太が歩む道を後押ししたいと思っていた。それで仮に結果が出なかったとしても、遠藤康や永木亮太はベストを尽くそうとしていた。少なくとも私にはそう見えた。信頼とはそういうものだ。
鹿島アントラーズのアイデンティティとサポーターの覚悟
フロント、監督、選手以外にも、クラブにはサポーターという存在がいる。
実は鹿島サポーターも新しいサッカーに対して割り切れていない人は多かったんじゃないかと思っている。
「内容云々ではなく、とにかく勝てばいい」と思ってる鹿島サポーターは多い。というか私の印象では、7割くらいの鹿島サポーターが心の底ではそう思ってるんじゃないかと思う。
それが鹿島アントラーズの長年のアイデンティティになっていたし、鹿島アントラーズの大きな大きな強みでもあった。
「どんなに無様でもとにかく勝つ」という認識が選手とサポーターと監督の間で共通認識となり、いくつものタイトルを獲ってきた。その時のカシマスタジアムのヴァイブスは、ここ数年では味わえないくらいに緊張感と必死さにまみれていた。
しかし時代は変わってしまった。
「とにかく勝つ」が大事なのは承知の上で、手段に対してもある程度の道筋やバリエーションがなければリーグを取れない事が分かってしまった。それ故のザーゴの招聘だった。
そんな中で(これはあくまで私の推測ではあるが)、強化部がイメージしていたザーゴの手段と、実際のザーゴの手段には乖離があった。そしてサポーターもザーゴや強化部がイメージしている手段と、今までの価値観(どんなに無様でもとにかく勝つ)との狭間で揺れ動いているように見えた。
かく言う私もその一人だった。
ザーゴの価値観を理解したい。応援したい。と思う一方で「このサッカーの終着点と鹿島アントラーズのアイデンティティが溶け合う瞬間はあるのかな?」という疑問も常に持ち続けた。
どうやら私が思っている以上に、これを読んでくれているあなたが思っている以上に、鹿島アントラーズというチームは特殊なのかもしれない。
鹿島アントラーズというチームの精神性
ある種の精神性をベースに纏まり、勝ってきたチームは日本には鹿島アントラーズ以外には無い。
「優秀な監督はすぐにピッチ内で結果を出すよ。時間がかかるなんて嘘だよ。」と私は思っているのだが、もしかしたら鹿島アントラーズというチームに関して言えば話が違うのかもしれない。鹿島の監督は想像以上に難しいのかもしれない。
鹿島の精神性に触れてこなかった人間に、その価値観を理解してもらうまで時間がかかるのは想像がつく。
だからその精神性であったりアイデンティティを理解している石井さん、大岩さんに緊急事態の監督を任せてきて、そして今度は相馬さんに、という話なんだろう。
確かに鹿島の精神性は引き継がれているかもしれない。しかし上積みは無い。それがここ数年の鹿島が監督人事で繰り返している事。直面している課題。(逆に言うならば「最後にすがる所は鹿島アントラーズの精神性」という解釈なのかもしれない)
相馬監督は勿論応援する。
しかし出来る事なら、違う形で相馬監督を迎え入れたかった。というのが今の本音ではある。
そしてザーゴにカシマスタジアムの本気の声援を聞かせてやれなかったのも残念で仕方ない。